皆さん、はじめまして!
しゅーと申します。
いきなりですが、ここで皆さんに一言。
「僕は最強のデザイナーです!」

「おいおい、相当ヤバイやつが出てきたぞ笑」
そう心の中で思っている皆さんが
容易に想像できます。
ですが、
このあとお話していく内容は
「 WEBデザイナーとして
フリーランスで活躍していきたい」
そんなあなたに向けて書いています。
自信がないデザイナーの話。
聞きたいと思いますか?
僕だったら、ここでタブを閉じてます。
そして、
この記事を読んでいるあなたは
まだ自信を持てていない
「悩み」や「不安」を抱えた状態だと思います。

以前の僕も、皆さんと同じ状態。
そんな不安を払拭するために
必死にデザインスキルを身に付けましたが、
結局、全然稼げませんでした。
「高スキル≠高収入」
この真実をあなたに伝えたいから
ブログを書き始めました。
なので、「5分だけ」
あなたの時間をください。
たった”5分”であなたの挫折が
防げるかもしれないんですから。

なぜここまでするのか。
それは
「僕と同じ苦しみを
あなたに経験して欲しくないから」です。
ここからは僕の過去を振り返りながら、
どうやってWEBデザイナーとして
フリーランスになれたのか
経験・失敗談とともに
ノンフィクションでお届けしたいと思います。
(正直、めちゃくちゃ恥ずかしいです…)
それでも、
1人でも多くの
駆け出しデザイナーさんを救いたい!
そんな思いが届けば嬉しいです。

建築家を夢見た学生時代
改めまして、しゅーです!
この「しゅー」という名前
自分の本名の「修一」から「しゅう」と
普段から呼ばれることが多いので付けました。
実は最近、同じビジネス仲間との間で、
間違って「しゃー」と言われることがあリました。

赤い○星の方ではありません。
僕は宇宙戦争へは行きたくないので、
皆さんは「しゅー」で覚えてくださいね!
会話の内容でお察しの通り、
アニメ・マンガ大好きオタクです。
今までの人生で1番影響を受けたのは、
「BLEACH」ですね!
オサレなバトルマンガ、最高です!!
さて、余談が多くなりましたが、
僕は現在27歳でフリーランス独立し、
WEBデザイナーとしてスキルを活かした
充実した毎日を過ごせています。

そして、
僕がデザインに初めて触れたのが、
高校生の頃。
僕はもともと
「建築家」を夢見る学生でした。
サラリーマンのような会社勤めよりも
周りの人とは違った
職人のような専門的なスキルで仕事してみたい!

そんな思いで
「建築・デザイン科」がある工業高校へ。
みんなが右に行くなら、
左に行ってみたくなる。
そんな少し変わった性格してましたね。
勉強は好きではなかったので、
住宅の構造計算や費用コストの話は
興味を持てませんでした。
ですが、
自由に設計して、
図面に書き起こす作業が楽しくて
建築にドンドンのめり込んでいきました。
そして3年後、
さらに建築を学ぶべく国立の工業大学へ。
また一歩、夢へ近づける!
当時はそう思ってました。
ですが、
そんな順風満帆にいくハズだった人生が
「大学」でガラリと一変したのです。

もともと
AO入試(実技試験での入試)
で大学に合格した僕。
センター試験を受けていない僕からしたら、
大学での一般教養(英語・数学・物理)は
鬼の難易度でした。
もちろん大学側からの配慮は全くなく、、
教授に相談しても
「できるまで、やりなさい」の一言。

- 他の学生と同じ合格点を取らないと単位が取れない仕組み…
- そして1日では到底終わらない作業量の建築課題…
いつしか、
この大きな2つの悩みに
板挟みにされる自分がいました。

日々の講義で出される一般教養の課題。
基礎ができていないから友達にすら、
どう質問したらいいのか分からない。
「せめて建築の課題は良い評価もらわないと!」
そんな建築経験者のプライドも邪魔して
さらに自分を追い詰めていく。
正直、泣きながら課題に追われてました。。
そして、いつしか、、
「建築家になりたい」
その夢が、どうでもよくなっていました。

大学中退を決断
そして忘れもしない。
大学2年の冬がやってきます。
2月、凍えるような寒さの時期でした。

ある日、大学の友人と2人で僕の部屋に集まり
明日のテスト対策の追い込みをかけてました。
ですが僕はその日、
今までため込んだストレスで
異様に苛立っていました。
友人に対して
一度もキレたことはありませんでしたが、、
「帰ってくれ!!」
ムシャクシャして強く言い放ち、
追い出してしまったんです。

友人には何の非もありませんでした。
そして
追い出した瞬間、
胸のあたりで結ばれたロープのようなものが
「ブチッ!!」と引きちぎれた感覚があり、
今まで感じたことのない
倦怠感と疲労感が襲ってきたのを覚えています。
そう、僕はもう限界でした。。

今思えば、
心が折れてしまった音
だったのかもしれません。。。
その後は、友達からの連絡をすべて無視して
3ヶ月引きこもり。
単位取得が絶望的に。
両親にも泣きながら説得されました。
ですが、もう…
続けられる状態ではありませんでした。

そして3年の冬、大学中退を決意。
6年も頑張って身に付けた建築のスキル。
それを水の泡にする選択。
喪失感で空っぽでした。
ですが、同時に
「やっと重荷が取れた…」
「地元でやりたい事見つけていこう」
そんな感覚も芽生えていきました。

5年間にもおよぶ苦悩の連続
実家に帰ってからは、
いろいろな職種に手を出しました。
寿司のシャリを炊き上げる深夜バイト
ショッピングモールの早朝清掃
住宅展示場の案内など…
バイトしていて楽しい時もあった。
ですが、将来的なことを考えると、
幸せな未来がまったく想像できませんでした…

そんなフリーター生活を続けて4年。
そろそろ安定した仕事に就かないと。
24歳の時、地元の大手空調機器メーカーに
派遣事務員として入社。
しかし、それは苦悩の日々の始まりでした。
- 閉鎖空間に1日中座りっぱなしのデスクワーク
- 仕事以外の会話がないロボット状態
- 毎日人の影口が聞こえる職場
- 技術に見合わない低賃金
そして、
追い討ちをかけるようにやってきたのが、
「コロナウイルス」
イレギュラーな仕事が増え、
体調を崩しても休めない雰囲気。
そんな中、
風邪で高熱が出て休んでしまったのですが、
完治後、職場に復帰した際には、
職場の人から無視されました。
自己管理ができてなかった自分の責任でした。
ですが、
当時は相当ショックでしたね…
「仕事に行きたくない…」
「朝が来るのが怖い…」
「いっそ楽になりたい…」
中退してから溜め込まれたストレスで
この当時もしかしたら、
鬱の手前だったのかもしれません。

そんな将来と自分に絶望していたある日、
YouTubeである広告動画を目にします。
「WEBデザインで自由に生きる!」
直感的に思いました。
僕にはコレしかない!と。
気付いたらスクールの申し込みをしてました。

それから昼間は仕事、
夜はデザインの勉強にのめり込みました。
高校からデザインに触れていたこともあり、
毎日、自分の成長を楽しみながら
Photoshop、WordPressを5ヶ月でマスター。
特にPhotoshopが得意で、
スクールで開かれたバナー作成コンテストで
1位を取ったこともありました。
デザインスキルを身に付けた僕は、
そのままの勢いで会社を辞め、
開業届を出して、フリーランスになりました。
さぁ、人生ここから!
そう思う反面
1つ大きな気がかりが、、
「個人でどうやって稼いでいくの?」

当時スクールでオススメされた方法は
「クラウドソーシング」でした。
- 競争率が高い
- リサーチした上での営業力が必要
- 商品を作っても採用されなかったら作り損
- 低単価な上、時間だけが削り取られる
自分を売り込むなんて経験がない状態で始めて2週間。
まったく成果が出ず、嫌になり
「飛び込みメール営業」に切り替えました。
YouTubeのサムネイルを作ってみたい。
そんな思いが強かったので、
好きなYouTuberの方に直接メールで
アプローチかけていきました。
3週間後、
とある魚釣り&キャンプ系のYouTuberさんからご連絡が。
ついに、ついに、、
月3万円契約の初案件ゲット!
正直、胸が高鳴りました!
「絶対いいもの作る!!」
今まで以上に気合を入れて挑んだサムネイル。
ですが、、、
YouTubeの再生回数は
思うように伸びませんでした。。
「YouTubeは再生数がすべて!
コッチは生活がかかってる!」
依頼者の方から怒られながら作り続けましたが、
契約更新はしてもらえず、
1ヶ月で切られてしまいました。
自信は粉々。
仕事へのやる気も失せていました。

それでも、
4ヶ月間で20通もの営業メールを送るも、
成約は1件のみ。
4ヶ月でたった3万円の収入。
「まだこんなに苦しまないといけないの。。」
大学中退から5年が経っていましたが、
またあの時のように、
心が折れかかっていました。
そんな現実から逃げるように始めたTwitter。
何気なく検索した「フリーランス」
そこでのある人との出会いが、
「人生を大きく変えることになる」とは
当時の僕は考えもしませんでした。

暗闇に光が差した突然の出会い
お金と時間を払って身に付けたデザインスキル。
会社を辞めてまで、フリーランスになった。
すべては自分を変えるために!
でも、現実は非情でした。
頑張っても、頑張っても、
まったく結果につながらず、
時間とお金だけが減っていく日々。
銀行口座の残高は、
10万にまで減っていました。

頭では「焦り」と「不安」が入り混じってる。
でも、行動する気力が湧かない。
半分ニートのような状態。
「このまま会社員に戻るしかないのか…」
そんな思いがよぎる中、
何も考えずに開いたTwitter。
そこである人と出会います。
その方は”Yさん”という方でした。
ビジネス系だとガツガツした人が多い中で、
「ストレス0で、のんびり生きていく」
そんなスローライフに憧れていきました。
しかも、
収益化していて月6桁稼いでいるとのこと!
そんなYさんに
「ぜひ、相談にのってもらいたいです!」
まさに藁にもすがる思いでした。

なんの接点もありませんでしたが、
すぐにお電話する約束をして、
お話をさせていただくことになりました。
正直、
面識のない人とお話しするのは不安でしたが、
実際話してみると気さくで優しい方でした。
Yさんは現在、
「ネットビジネス」で収入を得ていて、
プログラミングのスキルを活かされてました。
しかも驚いたことに、Yさんは23歳。
当時26歳だった僕より3歳も年下でしたが、
すでにフリーランスとして活躍されてる。
「同じWEB系のスキルで
どのように稼いでいるか知りたい!」
そんなYさんに僕の過去をさらけ出して
相談にのっていただきましたが、
ここまで話せたのは、
家族以外は初めてでした。

そして意外だったのが、
Yさんは個人で稼げてるはずなのに
いまだにビジネスの師匠から学んでいるとのこと!
Yさんが師匠と呼ぶかた。
それが”Hさん”でした。
その後、Yさんが予定を調整していただいて、
Hさん含めた3人で
電話相談をしていただくことになりました。
Yさんが師匠と呼ぶ人…
ビジネス初心者の僕は
お2人の話についていけるだろうか。。。
しかし、
そこに現れたHさんは、
家族思いのイクメンパパさんでした。

Hさん自身、子育てをしながらも
ネットビジネスでバリバリに稼ぐ
すごい方!!
ですが、
ビジネス初心者の僕に対しても、
優しく丁寧にお話してくれました。
そしてHさんは僕にこう言ってくれたんです。
「大丈夫です!
しゅーさんのスキル、
全部活かせますよ!」と。
この一言で僕は救われました。

大学中退で諦めたスキル
独立して結果が出ずに諦めかけたスキル
これまでの経験はムダじゃないよ!
と言ってもらえたこと。
ただただ嬉しくて、
目に涙を溜めながら聞いていました。
同時に、
この人たちにもっともっと教えてもらいたい。
そんな前向きな気持ちが芽生えていました。
次の瞬間、
「僕にも教えてください!
お願いします!」
電話越しに頭を下げてお願いしていました。

不安がなかった、と言ったら嘘になります。
ですがこんな巡り合わせ、
次いつあるか分からない。
これはチャンスだ!
自分の人生を幸せに染めるため。
そして、
今まで心配や苦労をかけてきた
両親に恩返しするため。
僕はやってやるんだ!
そう心に誓いました。

小さな成功と大きな喜び
それからは
出される課題を1つ1つ
こなしていきました。
課題と聞くと学生時代に戻ったような感覚。
そして大人になって取り組むと、
意外にも面白く、
楽しめている自分がいました。

課題が分からず、焦りが出る時も。。。
そんな時には、
ミーティングをセッティングしていただいて、
初歩的な部分から一緒に考えてくれました。
僕には2人の師匠がついてる。
その心強いサポートが、
僕を支え続けてくれていたんです。

そして、
ビジネスを学び始めて4ヶ月後。
その日、僕は昼食後にYouTubeを見てました。
「ピコン♪」
突然の1件の通知とともに
「500円の成約」が!!

ワンコイン
一般的には
昼食代でも安いくらいの
小さな収入。
ですが、僕にとっては
決してお金では買えない
僕にもう1度、夢と希望を与えてくれる
大きな大きな報酬となりました!
そして、LINEで師匠2人に即報告。
その時の、
「しゅーさん!やりましたね!!」の言葉。
部屋でガッツポーズしている自分がいましたね!

面白いように押し寄せた”成功の波”
なんとそれからは
驚くような出来事の連続でした!
日々ビジネスを学んでいく中で
同じ境遇で挑戦している方々に出会い、
切磋琢磨していく“仲間“が
何人もできていきました。

「みんなで支え合う」
その一環で、僕のデザインスキルを活かした
Twitterのヘッダー制作を
頼まれるようになりました。
頼ってもらえることって
こんなに嬉しいんですね。
そして、全身全霊のチカラで完成させた1枚。
「え?ちょっと待って!?
アホちゃうかってくらいカッコイイんですけど!!」
自分の想像していたよりも何倍も、
満足してもらえました!

↑この方が「ヘッダー変更しました」と
ツイートしたところ、
10日間ほどで200いいねをもらえるほど、
多くの反響をいただけました!
さらに続きます!
実は、地元で事業を展開している
スポンジ加工会社さんから直接連絡いただき、
商品画像を作って欲しいと
依頼が舞い込んできたのです!
あまりのことで驚きを隠せませんでしたが、
ふたつ返事で引き受けることに決め、
↓現在も毎月、このようなホームページの画像を制作しています!

そして!そして!
同じ会社さんから
さらなるご相談が、、、
それは、
会社専用トラックの
ラッピングデザイン制作のお話でした。
「縦1.2m × 横4m」
間違いなく人生最大の制作物。
正直、不安はありました。
けど今は、
絶望していた時の僕じゃない。
「挑戦させてください!」
それから、
何度も何度も考え、相談、修正を
繰り返していきました。
そして2ヶ月後、
「印刷完成しましたよ!」
と連絡が!

↑コレが実際に手がけたトラックデザインです!
…感無量でした。
さらに先日
自分がデザインしたトラックが
実際に走っているところを見かけたんです!
ついつい、道ゆく人に自慢したくなっちゃいましたね。

自分にしかない強みで、さらに高く!遠く!
そんな実績が増えていく中、
プロのデザイナーとして、
相談される機会も増えていきました。

アドバイスをしていくと
「よくそんなアイデアが出てきますね」
こう言われるんです。
自分では当たり前だと思っていた考え。
でも、それは常識ではなく、
“僕なりのデザイン“があるんだと
最近気づきました。
そして、新たに
「ネットビジネス」を取り入れたことで、
スキルの活かし方が理解できてきています。
コロナでより一層ネットに触れる機会が多い今、
「デザイン×ネットビジネス」
この可能性は無限大だと確信しています!

大学を中退してからの5年間。
正直、どう頑張ったらいいのか
当時の僕は全然わかりませんでした。
しかし、今は
チカラを存分に振るえる場所を手にできて、
同じ志の仲間に出会い、
デザイナーとして活動できていること。
ある意味
理想の未来を
現実にできたのです!

今思えば、
あの時のTwitterの検索をしていなかったら、
どうなっていたんでしょうか。。
人生、何が起こるか分かりませんよね。
そして今後は、
もっと可能性を広げる事業を計画中です!
楽しみに待っていてください!
そして新たに
こんな夢もできました。
「関わるすべての人に
“幸せをおすそわけ”する」こと。

- 駆け出しデザイナーさん
- 2人の師匠
- ビジネス仲間
- 両親
- これから出会う人たち
……とにかく全員です!
ただし、これには前提条件があります。
まずは、
「自分が幸せになること」です!
だから、自分のやりたい事
隅から隅まで、
全部叶えていきます!!

次はあなたの番です!
これまで僕の人生を
細かく振り返ってきました。
すでに皆さんは
お分かりかと思いますが…
僕は今まで
正社員として働いたことがありません。
自分のわがままを通し、
嫌なことから逃げ続け、
たくさんの人に迷惑をかけてきました。

「時間が経てばきっと誰かが助けてくれる」
でも、、
「“誰か”って誰?」
僕はこの事に気付くまで
5年もかかってしまいました。
「自分で切り開いて行かなきゃ!」
この考えになってから、
見える世界が変わったんです。
だから、2人の師匠と出会えて、
チャンスを掴み取り、
ここまで成長できた。
まるで水槽のような狭い世界から解き放たれ、
大海を自由に泳げるようになった気分です!
水槽にいる魚はいくら成長しても、
自力で海へは行けません。
でも、僕たちは人間です。
行動しだいで、
いくらでも抜け出せる。

そう。結局は、
「やるか、やらないか」
それだけなんです。
最初の一歩は
ものすごいエネルギーを使います。
お金がない、時間がない
やらない理由のフィルターが
自分を妨げるから。
けどやらなかったら、何も変わらないんです。
だから、
僕と一緒に乗り越えましょう!

あなたの夢、
諦めるにはまだ早いです。
1人が不安なら一緒に歩いていけばいい。
そして、みんなで幸せ
掴み取りましょう!

長い自己紹介となりましたが、
最後まで読んでいただいて、
ありがとうございました!
この記事を読んで、
ほんの少しでも
希望が持てる人がいてくれれば嬉しいです!
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